STUDIO ARTISAN からだとこころのいろいろ

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自分を赦すこと

からだに良いとされる何をやっても

からだに良いとされる何を食べても

時間が経つとどうしても硬直に戻るからだの部分がありました。

こころの中に何かあるんだなと思って、

しばらくの間、向き合うことをやめてみて

そっとすることにしていました。

 

昔とは異なるやり方で

自分を見つめることにして

少しずつ

自分の思考を観察し

自分の感情を観察し

自分のからだを観察し

ただノートに記してきました。

 

判断することをやめて

ただ記録をつけてみました。

 

ドラマの中にヒントがあったり

映画の中に記憶を呼び覚ますシーンがあったり

本の中にこころに響くフレーズが書いてあったり

外から与えられる気づきと

日常の中で勇気を出していくという実体験と

自分を内観して見つめる静かな時間と

 

色々な場面で自分を感じてきました。

 

わたしは9才くらいの頃に、ある挫折を味わいました。

それがトラウマとなって、そこからすべての見方が変わってしまいました。

そこからは、自分という存在を追い込む毎日でした。

 

人生というものが

魂の成長のためにあるとするならば、

今までの自分よりもより良くなるように試練が用意されているようです。

それを乗り越えるために、色々な事柄が絡み合うようにできているようですが、

わたしの場合も例にもれることなく、

前世、家系、幼少期のトラウマなど、色々な事柄が絡み合って、

なかなか抜け出せない状況を、

ある意味、自分で創り出していくこととなりました。

 

すべての時代において

わたしは自分を赦さずに生きてきました。

何か事柄があるごとに、自分のせいだと決め込んでしまうクセがあるようで

自分が全てを背負い、自分が罪を償うことで成立する

そういう方法を探すように思考グセ、感情グセがついてきました。

 

今回は、それを止めようという試みで生きてみています。

何度も押し寄せる感情の波や

考える自分と向き合いながら

少しずつ自分を受け入れ

自分を認め

自分が悪いわけではないと

自分に言い聞かせる日々を過ごしてきました。

 

レッスンでみなさんに会うこともなくなったこの1ヶ月で

自分を受け入れるスピードが上がりました。

自分を認めるということの大切さをさらに感じることができました。

 

そして、9才の自分が感じた挫折の根本に

「母への愛」があることを自分の中に見つけました。

わたしが自分のせいだと自分を責めることになったきっかけの

全く同じその時間に

実は「自分の愛」がそこにあったことを見つけました。

 

すべての行動の源に

自分の愛が関わっていることに気づきました。

 

愛があったから、そうなったのか

と、自分を理解しはじめた時に

ふわ〜っと

からだの部分が緩みはじめました。

 

どんなに頑張っても

緩まなかった場所が

勝手にどんどんと緩んでいきました。

 

自分を締めつけていた自分の想い。

改めて、全ては自分なんだなと

感じる出来事でした。

 

信仰心と、愛。

正直にいうと、どちらも、あまり好きな言葉ではありません。

言葉に騙されて、生きてきたことがあるからです。

この言葉によって、制限されて生きてきたことがあるからです。

 

でも、言い表すならば

信仰心と愛がとても大事なんだなと思います。

 

できることならば

絵や音楽や踊りや香りで

言葉以外のエネルギーで 

このことを伝えていきたいけれど

 

わたしは嫌いなことに

苦手なことに向き合うことで

成長するタイプみたいですので

敢えて言葉でお伝えしていくことが

必要なのかもしれません。