わたしはいつも明るくケタケタ笑っております。
全然笑っているつもりなくてもニヤけてたりしますし、こどもの頃からそういう性格なんだろうとおもいます。
だからあまり悩まないと思われたりします。
楽しく人生を謳歌してるみたいに思われたりしてます。
でもブログでずーっと書いてますが、けっこー悩んで迷って困って生きてきてます。
フツーにひとりのただの人間として痛みも苦しみも味わって生きてきてます。
それでも死のうと思ったことはないですし、死んでも何もかわらないことを知っているので死にたいとも思ったことはないですが、「たのしくないなー」と思って生きてきていたのは事実。
「希望」を感じられずに日々を生きてきたことも事実としてあります。
年齢を重ねるということは、からだに老化がおこるって考えがちですけど、
ほんとはからだがボロボロになるというよりは、自分のまわりに起こってしまう「現実」に巻き込まれた時に、こころがいろんなことに対処できずにアップアップになって、どうにもこうにも消化出来なくなってきて、こころのお部屋がゴミ屋敷になったその結果、からだに支障がでて、動けなくなってきちゃうんだなってのが、最近のわたしの気づきです。
わたしもからだはそんなに年老いたように見られませんが、こころには沢山のゴミが溜まっていることに気がつきました。
こころのお部屋にゴミが溜まっていたことに気がついたわたしは、ここ数年でなんとなく続けてきたヒーリングやレッスンが、こころの浄化というか、こころのお部屋のお掃除だったことにも気がつきました。
そして、今年に入って、その掃除が最終段階に入ってたってことにも気がつきまして、こころというお部屋の中のゴミをぐーっと減らすことに成功しました。
ある意味、『断捨離成功!』です。
で、今のところ、断捨離後も増やさずにどうにかシンプルなこころのお部屋を保てているようにおもいます。
その結果、からだを使って実際に行動するということが、前よりスムーズに出来るようになってきたみたいで、やろうと思ったことに着手するのが早くなりました。
それから、後悔することも減ってます。
新しいことにチャレンジするのが怖くない。失敗も怖くない。
それで『未来』がたのしみになってきました。
いわゆる『希望』がでてきたのです。
完全に忘れていた『希望』です。
こころの奥の奥のまた奥の、小さな小さな箱の中にまた箱を閉まって、その箱の中のちっこい缶に大事なものをしまい込んで、忘れていたこと。
あの日のちいさなわたしが「未来に抱いた希望」です。
缶にしまって、何重にも箱をして、さらに大きな箱に入れてフタを閉めてガムテープを張って、布でくるんで穴をほって、土を被せてだーーーーーれにも見つからないところにかくしてしまった。
そんな『希望』です。
こころがフワッと明るくなるような。
いやなことなんてすべて忘れてしまえるような。
そんな『希望』。
あまりにも悲しいことや、あまりにも苦しいことが続くと、人はそういう風にして、希望をみえないところに閉まってしまったりします。
なかったことにして、だまーって人生を終えることもなくはないとおもいます。
でも、わたしは人に希望を抱いて欲しいと願ってしまう。
だからまずは自分で実践しています。
奥にあった『希望のカケラ』をこれからじーっと見つめて、磨いて、行動できるように考えてみたいとおもっています。
別に何年かかったってかまわないから、あの日のちいさなわたしが抱いた夢をカタチに出来るように。
がんばります。