STUDIO ARTISAN からだとこころのいろいろ

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才能とか努力とか

世の中では才能があるとか、ないとかって言い方をしますね。
わたしも才能があるとかないとかよく口にしているなと思います。
最近、才能っていうものについてちょっと考えを巡らせてみたんですが、そもそも才能っていうのが発揮される時って、どんな時を指すのかしら。才能がある人ってどんな人かしらん。と考えてみました。

「才能がある」と言われる人が、才能があるといわれる「その分野」での「努力」をした時に、周りの人が感動してしまう素晴らしいことを成し得ることができる。

わかりやすいのはオリンピックに出るアスリートとか、ミュージシャンとか、俳優さんとかでしょうか。もちろんダンサーもそうですね。不特定多数の方々を熱狂させたり、涙を流させて感動させてしまうことができてしまう人たち。というくくりですかね。


はっきり言って、才能がある人、わたしは好きです。
才能あるだけでは好きじゃないですが。
才能を持ち合わせた方が努力することで発揮してくれた時に、「おぉー!」と、思うから。「すげぇ〜!」とやっぱり感動しちゃうから。努力してくれたその人の過去の時間に敬意を払いたくなるから。

だから生のライブを観に行くし、劇場までバレエを観に行くし、スタジアムまでサッカーを観に行くんですね。
感動すると、わたしもがんばろーと思うから。
きっと、エネルギーの派生が起こるんでしょうね。


才能がある方というのは、ある意味「できてしまう」という現実を持ち合わせているように思いますが、わたしにはそういう意味では「踊る才能」は全くなかったみたいです。
先生が言った通りに動いているつもりでも、同じようには筋肉が使えず、仕組みを間違えていたので、やればやるほど苦しくて硬い踊りになるという現実しかなかったので。

ただ、からだの仕組みだけは『踊る才能がない』おかげで、ずーっと研究してきたので、才能がなかったことがよかったのかもしれないなと、だいぶ前向きに捉えて過ごせるようになりました。

研究って、続けると、意外な方向に進むもののようです。

何の世界でも、「オタク」は、はじめは毛嫌いされたり、気持ち悪がられたりしますが、ある一線を越えるところまでいききると、今度は「専門家」として重宝されたりするものです。人間は勝手なイキモノですからね。

わたしもある意味では、その領域に入ったもん勝ちだなとか思って、続けているところはあります。


ケルトンの骨格模型をだいぶ上手に使いこなせるようになってきた気がします。
80歳を超えた方々に模型を見せながら背骨や脳みその話をしていたら「やっぱりオモシロイわ」とつぶやかれました。

80歳をこえても、新しいことを学ぼうとする意識や努力する姿勢には頭が下がります。
でも、その方々が興味を持ってくれるオモシロイことを考え出して、伝えられるようになって、自分もなかなか楽しいことできるようになったなと、思わせていただきました。


才能はないけど、努力をしたら、いいことあるんだな。
と思ったので、また明日も頑張ります。