STUDIO ARTISAN からだとこころのいろいろ

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相手がいてくれて気づくこと

ブログを読んでくださっている皆さまに「そんなこと考えて生きてたんだね」と、たまに言われることがありますが、どこを指しているかわかりませんが、そんなことを考えて生きてきてます。


わたしの中にはいろいろなバージョンの自分がいます。

真面目な自分。
ふざけている自分。
めんどくさがりな自分。
ヘラヘラしている自分。
几帳面な自分。
人のことが大好きな自分。
人のことがキライな自分。


高校生の時に、バレエの先生に言われた言葉が、自分探しのきっかけとなったかもしれません。

「みちこちゃんらしくないじゃない」

わたしらしいって何だ?あんたはわたしの何を知っているんだ?と、当時の自分はそんなことを感じましたが、それからどの自分がほんとうの自分なのか、だいぶ考えて生きてきました。


わたしも他人に対して、だいぶ思い込みがあるとおもいます。
勝手に考えて、適当なことを申していたりするかもしれません。

でも、そうやって他の人からみた自分像というものを知ることで、ある意味さらに自分を知ることになったりしますね。


わたしの場合は、16年くらいかけて、いろいろ考えてみた結果、全部自分でした。
真面目すぎてもいいし、ふざけすぎていてもいいし、あっけらかんとしていてもいいし、たのしんでいてもいいし、泣いても笑っても、全部自分だなと。

もうちょっとちゃんとした自分でいたかったみたいなんですけど、無理みたいですね。
それを認めるのに16年かかっちゃったといえばかかっちゃったんですけど、まー別にそれはそれでいいですね。これからも自分と向き合い続けるわけですから。


これも、自分以外の相手という存在がいてくれて、初めて気がつくことだなーとおもいます。
こんな感情を自分がもっていたなんて!?と、知らない自分を発見するきっかけを与えてくれます。


昨日も、自分が大切にしているんだなという感情を、あらためて教えてもらうそんなきっかけがありました。

大切に感じているからこそイライラもするし、なんだか分からないモワッとした感情が湧き起こり「こんなにもそれを大切に感じていたのか…」と、痛感したりなんかして、ある意味自分の深〜いところの感情を知れて、嬉しくなりました。


人間てめんどくさいイキモノですけど、なかなか悪くないですよね。