STUDIO ARTISAN からだとこころのいろいろ

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破壊と再生

自分のからだを整えるのが一番難しいと、以前も書きました。

でも、自分のからだは、自分で見つめ続けることが一番大切だと思っています。
誰かに教えてもらった方が、誰かに治してもらった方が、簡単で安心。
お任せして責任はなし。何かあればその人のせいにも出来ますしね。

しかしながら【答え】は自分の中にしかありませんからね。

だからヨガとかするんですよね。瞑想のためのからだづくりとして。
中心をとることは、自分を知ることになりますから。
ハムングブレスも同じです。



昔から、自分でからだのズレを治せないもんかなぁと考えつづけてきました。
皮膚は再生するし、爪も髪も切っても切っても伸びるのに、虫歯が治らないなんて変だなとか、視力が回復しないなんて変だよなーとか、そんな疑問を持ってました。

骨折だって治るんだから、骨の位置くらい自分で治せないものだろうかと。


今でも、まだまだ、自分のからだの調整は難しいです。
自分と向き合うたびに、いろんなことに直面します。
多くは関節に溜まっている『感情』に直面するからだと感じてます。


この間、コンテンポラリーのレッスン中に、脚を上げた勢いですっころびました。
久しぶりに踊ってて派手にこけました。

背面全部打ったので、腰やらなんやらいろいろガタガタになりました。
普通に起き上がれないところまでガタガタになってたのですが、どうにかこうにかいろいろ試して、調整に成功。
昔よりは、腕を上げたな、というのが自分に対する感想です。

そんなこんなで、とりあえず痛みもなく、アザだけ出来たくらいで暮らしてます。


ふいをつかれてガタガタになった時は、新しい発見がいっぱいあります。
普通の取り組み方ではうまくいかないから、じゃあこうしてみようとか、こんなところを意識してみようとか、からだの感覚を広げていく作業を繰り返します。

そんな感じで、自分のからだを壊しては直し、壊しては治しの繰り返しをしてきたなと思います。


自分のからだの調整は何が難しいかというと、

【『中心』だと思っている場所が、実はずれていることが多い。】

からなんです。


頭で考えていることにも左右されるし、こうだろうという推測の元に動くし【目】は過去の筋肉の場所を記憶しているので、どうしてもそっちに引っ張られてしまう。

そんなわけで、レッスンなどで、第三者に中心が取れているかみてもらうっていう作業が役に立つわけですね。

わたしの役割もそんなところだろうと思ってます。

「そこ、中心とおもっていると思いますが、ちがいまっせ〜」って、お伝えできれば、それで任務完了という感じかもしれません。

そして、慣れた場所から新しい場所へと筋肉のつながりを導けたら最高ですね。


その昔に、インドに破壊の神様がいるということを知った時、【破壊】なのに神様なのか?と違和感を覚えたのですが、一回壊さないと変容もしないんだなと、近頃はすごく感じます。

青虫がさなぎになって、蝶々に変わる時、一回細胞を壊して編成しなおすという話を聴いたのですが、まさにそんな感じで自分も変容中だなと思います。

その昔は壊れることが怖くて、変わることが恐くていろいろ試せなかったものですが、最近は強引なくらいぐいぐいしてしまう時があります。


壊れないと組み替えられない。
壊すことで新たに再生するものがある。
壊れてみて初めて見えるものがある。

壊してみたら、意外と大丈夫だったっていうことは、よくあるのかもしれません。
「勇気」だけは必要とされますが。


そんな感じで、【破壊】の神様の必要性がなんとなくわかりかけてきた今日この頃です。